お経とは何かを考える際に重要な事は、
お経とは仏教で読まれる
書物や文章のことを表します。
つまり仏教を信仰する方が
読まれると解釈すると良いでしょう。
ではこの仏教とは何かを理解しましょう。
現在の日本でも天台宗や真言宗、浄土真宗
など様々な宗派に分かれています。
しかし元をたどれば紀元前5世紀頃
お釈迦様が悟りを開かれて説かれた教えが
民に影響を与え、広まっていきました。
それがアジア各地を中心に広まり、
やがて日本にも影響を与え、
後に様々な宗派へと分かれていきました。
ですから仏教の教えとは、
お釈迦様が説かれ教えられた事、
それが全てであると言えます。
よくある会話でも『なんか悟った』と
発言されることがありますが、
そもそも悟りには52段階存在します。
1段階目を悟った者と、
52段階目を悟った者とでは、
まったくレベルが違います。
『釈迦の前に仏なし、釈迦の後に仏なし』
この言葉があるように
52段階目まで悟られた人間は、
後の仏教では1人として現れず、
お釈迦様のみとされています。
また悟ったとはどの様な状態を指すかと
言いますと、
宇宙の真理までを理解し、
仏になった事を意味します。
仏になった者を“ブッタ(仏陀)”と呼ばれ
これまでの歴史では
お釈迦様が唯一、
ブッタ(仏陀)になられました。
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お経とは仏教で読まれる
書物や文章のことを表します。
ではこの仏教とは何かを理解しましょう。
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先の説明でこの様に述べましたが、
現代の日本では、
人が亡くなった際には決まって
通夜式、告別式(葬式)をあげます。
また四十九日や何回忌といった際に
法要としてお坊さんを呼んで
読経して頂きます。
これはある意味、
風習のようになっています。
そして遺族は故人の成仏を祈り、
お経を読んで頂こうと考えています。
そもそも成仏とは、
“仏”に“成る”と書いて成仏ですから、
仏になる道をゆく為に
戒名という仏教徒としての名前が
与えられます。
※宗派によりますが※
自分は仏教なんて信仰していない!
こう思っていても、
親が亡くなった場合に
成仏してくれよと祈る気持ちがあれば
これは仏教的な考え方です。
成仏=仏に成る
“仏”というものは仏教ならではの
存在であるからです。
ではやはりお経は故人を成仏させる為に
読まれているものなのでしょうか。
お釈迦様の逸話でこんなものがあります。
1人の村人が妻を亡くし、
悲しみに暮れていました。
同時に、妻は亡くなった後に
天国へ逝けるものか。
自分はどの様に手助け出来るだろうか。
この様に考え、
お釈迦様へ相談しました。
お釈迦様は全ての真理を悟っています。
そんなお釈迦様はこう示しました。
お釈迦様は足元の小石を拾い、
目の前にある池へポチャンと投げ入れました。
そして、、、
-お釈迦様-
『この池の周りを
“石よ浮いて来い”と
祈りながらどれほど歩けば
沈んだ石は浮いてきますか』
そう問いかけました。
-村人-
『いえ、いくら祈って歩いても
沈んだ石は浮いてきません』
そう答えました。
-お釈迦様-
『何故ですか?』
-村人-
『石はその重みで沈みました。
祈ったとしても重さは無くなりません』
-お釈迦様-
『その通りです。石は自らの重みで
沈みました。人間もまた同じです。
自らの業(ごう)※行いの事※により
浮くも沈むも決まります。
沈むにしてもどれほど深く沈むのか。
全ては自分自身の行いなのです。
嘘をついた者は信用されません。
人を傷つけた暴力は許されません。
人に浴びせた暴言は戻せません。
自分自身の行いを改め、
自分自身でその身を軽くするしか
自分を救う道はありません。』
凄く冷たく感じるものの、
本当にその通りだと思います。
この様にお釈迦様は生きている人達の
悩みに対して、苦悩に対して、
様々な角度から悟りを説かれました。
そうです。
全て“生きている人”に対して説いたのです。
逆に言えば、
お釈迦様が亡くなった人に対して、
何か助言をしたり説かれた話は、
一語一句無いと言われています。
そんな生きている人間に対して
苦しみから脱する為に説かれた言葉。
これらを弟子達がまとめあげたものが、
最初のお経であり、
そのお経が国や時代を経へ様々な解釈へと
分かれていったのです。
つまり法要などで読まれている
お経は全てお釈迦様が生きている我々に
残した言葉であって故人を成仏させる為の
言葉ではありません。
では何故、人が亡くなった際に
お経を読むのかと言えば、
人が亡くなった時が、
人間は一番真面目になるとされています。
真面目というのは仏教では
生や死に対して真剣に向き合う事を指し、
それが身内が亡くなった時に
一番大きく現れるものだと教えられています。
ですから、その際に、
お経と言うお釈迦様の教えを
聞く事で、これからの人生に対して
どの様に生きていくべきかを
考えさせられる時間になるのです。
しかしお経そのものは難しい表現で
理解するには厳しいものです。
そこでお坊さんに読んでもらい、
本来なら読経のあとで法要を聞かせてもらう。
これが理想の形であります。
お経は亡くなった故人に向けたものではなく
参列している生きている人に向けて
効力を発揮するお釈迦様の教えだと言えます。